2004 年
12 月
19 日
カテゴリ:活動報告
子どもをとりまくコミュニケーション論
〜千葉大学保坂亨教授をお招きして〜
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昨日は、市民団体との協賛で、講演会を企画しました。 最近は若いお母さんでも、仲の良い人とは普通に接しているのに、公園で顔を見かける程度の人に対しては、会釈をしても、まるで見えないかのような対応をとられて驚くことがある、という話から、今回の企画が考えられました。
お話をしてくださった保坂教授は、長年学生相談や子どもの発達相談などに関わっている方です。 コミュニケーションというのは、「発信」と「受信」があり、「発信」を大事にするアメリカなどと違って、従来の日本人は「受信」の能力に長けていたのではないか、というお話から始まりました。ところが最近は日本でも「ディベート訓練」など「発信」力の開発が進んできたためか、「受信」する力が落ちているのではないか、というお話をされました。 言えば解るけれど、言わないと気がつかない。例えば、電車の座席でもう少し詰めればあと一人座れるのに、間を空けて座っていたり、大学構内の通路にお構いなしに自転車を停めたりする。 「気配り」とか「察する」といったことが苦手(死語)になっているのではないか、と。
また、人と人のコミュニケーションでは、そこで話される言葉の他に、顔の表情や身振りなどの「非言語」での伝達があり、実はそれが大変重要な意味を持つけれど、最近の子どもたちは言語化されない、その部分を感じ取ることがとても苦手になっているのではないか、という分析をされておられました。 なるほど、と思う部分はあります。 今は若者を中心に子どもたちから高齢者まで、電子メール、それも携帯メールが日常生活の中でなくてはならないものになっています。そこにあるのは、文字通り「言葉だけ」です。受け取ったほうは、そこで相手がどんな気持ちでその文章を書いているのかを斟酌するのですが、顔も見えず話す調子もわからないので、「自分なりに解釈」することになります。
私に言わせれば、昔から「言外の意味を読み取る」とか「行間を読む」ことが苦手な人は存在しましたが、そういう人に限って誤解を招く隙があるような文章を書くことが多いのです。 私が、この活動報告を書くにあたっても、なるべく意味を違って受け取られないように、とは神経を使っているのですが、それでも足りないかもしれません。現に去年は一度このことで「配慮が足りなかった」と大いに反省をしたことがありました。 とはいえ、「言っても解らないことも多いけれど、言わなければ絶対に解らない」というのが私の自説ですので、心配りをしつつ情報の発信をしていきたいと思っています。
昨日の講演会は大変興味深かったので、資金面さえクリアできればぜひまた企画をしたいものです。
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